学校区の概要
本校の創立は、明治7年1月養生舎設立より始まり、永い歴史的変遷と地域 社会の伝統に支えられ、133年を経て今日に至っている。
(1) 自 然
北には、呉沙々宇山(592m)、西南には日野浦山(345m)、北東には蓮華寺山(347m) を仰ぎ、南は緩やかな勾配で田畑が耕作されている。また、蓮華寺山を中心とす る一帯は、昭和49年10月1日に県緑地環境保全地域に指定されている。
地質学的には、花こう岩地域なので浸食に弱く、また植物では、アカマツの極 相がみられる他、竹林や雑木林が多い。
(2) 歴 史
正門横に立つ「水害記念碑」は、昔の畑賀の惨状を伝える大きな石碑である。
★ 大正15年9月11日(碑文より)
山が崩れ、奥畑の水越池が氾濫し畑賀川が土石流で消失、道が川化し川辺の家々 は流され多くの死傷者を出した。また、土石流が川下の砂走まで流出したため山 陽本線の線路を破壊し脱線に至った。死者36名、重傷者11名、軽傷者23名、流 失家屋43戸、半壊18戸、埋没14棟、一部浸水18棟、田流失44町7反、畑流出3 町1反、その他被害は甚大であった。
畑賀学区は、山陽道に近く位置しているため、中世・近世時代には重要な役割 を担い、古くは鳥篭城跡や蓮華寺・中須賀神社の由来にその跡がしのばれる。
(3) 文 化
神社・小社・石堂等数多くある。社は中須賀神社・小社(祇園神・黄幡神・金 比羅神・道祖神)の4カ所。寺は品秀寺(真宗・八葉山窓雲院・本尊阿弥陀)が ある。堂は五宇堂・畑垣内薬師堂・八王子観音堂・山口地蔵堂・石尾垣内阿弥陀 堂・石堂不動堂。古城跡は新城・上ケ倉・日ノ浦。また名勝として、鳥喰石・か わこ岩・観音ケ獄・びっくり岩・仏岩があり、さらに蓮華寺山登山わきには、展 望所にかけて新四国八十八ケ所の石仏が建っている。石堂不動堂は、弘法大師が 使われた杖が現在でも品秀寺の木棺に納められている。
昭和59年10月10日には、31年ぶりに神楽が復活し、中須賀神社にて披露された。
(4) 産 業
農業が主で、米・麦・大豆・小豆・ゴボウ・大根・里芋・野菜などが栽培され ている。昔は、縄をなったり、綿打ち、木綿織り等も行われ、戦後は針工場も何 年か続いて生産していた。現在は、専業農家はほとんどなく、兼業の小規模農家 が多い。
(5) 社 会
山々にかこまれた地形で空気がきれいである。その為に、戦前(昭和8年)に 畑賀国立療養所が建てられ、昔は結核療養所として多くの人々が静養された。現 在は、公設民営化され、安芸市民病院として多くの人が利用している。
畑賀の名称は、畑賀村に始まり、次に瀬野川に合併し瀬野川町畑賀(昭和31年) となる。次に広島市に合併し現在広島市安芸区畑賀(昭和48年)に至っている。
合併後、福祉センター(昭和48年)畑賀連絡所(昭和48年)簡易郵便局(昭和49 年)の建物が次々に建ち、安芸農協畑賀支店と共に住民にとってはなくてはなら ない存在となり、多くの人々が利用している。最近では、老人の為のゲートボー ル場、子供の為の児童公園も設置された。
畑賀には、二級河川の畑賀川が動脈として北より南に流れ、瀬野川に注ぎ海田 湾に通じている。畑賀川に沿って県道下瀬野・海田線、県道東海田一広島線の道 路が整備されている。
交通網として、芸陽バスが1日約20往復(畑賀〜市バスセンター)。JR安芸中野 駅まで約2km、車で市中心部まで約7〜8kmである。
(6) 教育環境
地形が山々に囲まれていて、小川や池が数ヶ所あり、都市化の影響を受けながらも
自然環境を多く残し、子どもたちも自由にのびのびと育っている。
校区には、乳・幼児教育(保育)施設として畑賀保育園と、ひかり幼稚園があり本校 児童の約90%以上がこの2園を卒園し、本校に入学してきている。
温かく人情に富んだ校区にあって、本校は明治7年に地域社会の要望に応えて教育 活動が始まり、以来多くの人材を育成してきている。現在の教育施設は、昭和47年 の校舎の建築から始まり、平成12年度に畑賀川西側にプールと児童館が新設、平成13 年度に市民プール解体撤去とグランドが拡張整備され、現在に至っている。
(7) 校区の位置
学区の総面積は11.3平方km。その内訳は、田畑1.55 宅地0.12 山林9.63平 方kmである。校区のほぼ中心地点に小学校が位置している。
☆東経132度33分10秒 北緯34度23分28秒
☆標高53.2m
☆広島市より真東に向いて北より8度の方向、直線距離にして約8.9Km
広島駅より直線にして約6.97Km